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月刊薬膳コラム
■ 程さんの月刊薬膳コラム11月号 ■
「不世出の美食家」

 秋も深まり、食欲が旺盛になりますね。では、ただ、食欲を満たせば、グルメなのか? そんな疑問に生涯をかけて取り組んだ男がいます。
北大路魯山人(きたおおじろさんじん)。料理人でいて、書道家で、また陶芸や絵もこなす。不世出の美食家について、今回はお話をしてみます。




 北大路魯山人(本名・房次郎)は、1883年(明治16年)京都生まれ。上賀茂神社の社家(しゃけ・社務に代々たずさわる家柄)に生まれましたが、不義の子だったそうです。

由緒ある家柄ゆえに、これを恥じた父は入水、残された母親は女中に。魯山人は東京に出て、看板屋の丁稚奉公に。

ここで書の天賦の才を発揮、ほどなく日本美術展覧会で一等賞を。以後は書に打ち込み、篆刻、陶芸に手を染め、さらに古美術商も。

そして、1920年の春、日本初の会員制の「美食倶楽部」(大阪・曽根)を発足させました。さらに25年には東京・麹町の「星岡茶寮」の料理長として、料理、食器などの演出に腕をふるいます。

いまどきのグルメなどという軽い響きの言葉とはおおよそ無縁。全く正反対に、食べること、料理をすること、もてなすこと、そのすべてにおいて、完璧を求めた人生でした。1959年没。享年76。

 これが魯山人の簡単なプロフィールです。私は、食と美を渾身の力を込めて探求した、その人生の裏側に、どうしようもない孤独の陰を感じます。

たとえば、出生のこと、それから派生した家族との別離。東京で書道で入選したとき、その賞金を手に、魯山人は母のもとへ向かいますが、料亭の勝手口で迎えた母は、けんもほろろに追い返してしまいます。

人間不信、女性不信。肉親に求めても、うることのできなかった愛情、熱愛を、魯山人は「食と美」に振り向けます。それは、ほとんど、狂気と呼んでもいいようなものだったと、本人を知る人はいいます。

私と魯山人の出会いは偶然でした。20年ばかり前、大丸百貨店で私自身の催しものを開いていたとき、その隣で魯山人の展覧会がありました。

引き寄せられるように、図録を開くと、たまたま、その日は命日。これも何かの縁と直感して、その足で京都の魯山人の墓所に向かいました。

寺は西方寺。ところが、寺の住職に尋ねても、墓が見あたらない。お参りにきている人もみあたらない。これほど世間に名を知られた人物なのに、まともに弔われていない。なにか縁で呼ばれたなら、これも私の宿命。赤の他人の私が勝手に弔うわけにもいかないので、遺族の方の了解を取り付け、以後、魯山人忌を行うことにしたのです。

 私の呼びかけで、魯山人の最後の弟子といわれる辻義一(懐石料理「辻留」主人)さんらとともに、毎年12月11日に魯山人忌を開いています。

京都市北区鎮守庵町の西方寺に正午に集まって、法要、墓参。そして、祇園の美術館・何必館にて作品の鑑賞。(参加費は、作品鑑賞までで3000円。希望者のみの、その後の食事会を含めると10000円・参加申し込み・程自宅ファックス0727-57-5670まで)

不世出の美食家といわれるだけあって、その料理、器はもとより、はては、給仕をする仲居さんの衣装のデザインまで、魯山人は手がけました。

器ひとつをとっても、どんな料理を盛りつけても、料理ばえのするもの。さすがとうならせる逸品ばかり。私も恥ずかしながら、陶芸や山水画を学び、いろいろと発表していますが、とてもとても、足下にも及びません。が、ひと言で料理と終わらせない求道の精神は、少しは学びたい気がします。

 昨今、食は揺れています。が、食べることを芸術の域にまで高めようとした男が、この日本にいた。その存在の貴重さだけでも知って頂けたらと、祈るばかりです。



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