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月刊薬膳コラム
■ 程さんの月刊薬膳コラム11月号 ■
「家族って、なぁに?」
 父が三年前に、母が、ことし84歳で亡くなり、これでぼくは天涯孤独みたいなもんやと思いました。自分を注意してくれる人がいなくなった。もちろん、家内や子供たちは、いいご意見番ですが、親の愛情で、厳しい意見を言ってくれる人はもういない。そのとき、すごい寂しさを感じました。

母は亡くなる前の日、とても元気だったんです。それまで集中治療室で体中を管に繋がれていたのに、その日は、普通に話をして、「私は三回天国に行ってきた」と言うんです。(それまでにすでに、7回も心臓が止まっていたのです)



 天国はどんなところかと聞くと、「きれいやったわぁ。お花畑で、知っている人がいっぱい迎えに来てくれたけれど、お父ちゃんがいない。いないと言うことは、まだ天国に来たらあかん、ということやろうと思うた」と。

ぼくは死後の世界というのは、実在すると思いました。母はそこまで行って体験し、ぼくたちにそれを教えてくれました。

母の体験談

母は多くのものを子供たちに残した偉大な女性ですが、この天国の話は、非常に貴重な教訓やと、思います。死後の話をして、人間いかにあるべきか、ということを、私たちに最後に教えてくれたような気がします。



8歳から調理場   母は台湾で生まれた中国人で、日本から来た発電所の技師だった父と18歳で結婚。日本に渡り、ぼくと、そのあと、5人の妹を産みました。
戦後、すぐ、大阪駅前の闇市で中華料理店を開業、ゼロからの出発でした。

ぼくは、8歳から調理場。小さかったから、ビール箱を逆さまにして、その上に乗って、肉を叩いていました。次に、親は、ぼくに、もっともしんどい仕事、店のトイレの掃除を命じ、ぼくは、徹底的にきれいにしました。

 料理については、よく母と言い争いをしました。本来、台湾では、焼きビーフンには、にんじんを入れなかったので、ぼくが栄養価と色彩を考えて、テレビで初めて入れたとき、料理が安っぽくなると、母は猛反対。でも、いまは中国でも、にんじんを入れています。ぼくの新しいやりかたが正しかったこともあるし、母の伝統が正しかったこともあります。

35年前、母がぼくにいいました。
「中華料理だけでなく、日本料理もフランス料理も、全部勉強しないと、立派なプロになれないよ」と。それからです。ぼくが一生懸命、やりだしたのは。勉強を始めたら面白くて、寝る時間が惜しくなりました。



後ろ姿を見せる教育  私が子供たちにした教育は、ぼくの後ろ姿をみせるということです。ぼくがそうして育ったからです。いま、なんとか料理人としてやっていけるのも、なによりも、そのおかげ。ですから、わが子にもできる限り、後ろ姿をみせてきたつもりです。

娘が高校の時、不良グループに誘われたけれど、仲間に入らなかったのは、もし、グループに入って、何かの事件を起こしたら、「料理人。程一彦の娘」と問題が大きくなり、パパが困るだろうと想像したら、わたしは、よう入れへんかったと。その話を聞いたとき、私の教育はよかったのだと思い、目が熱くなりました。

その娘には、子供がふたりいて、この孫たちは料理の感性がすごい。とくに小学生5年生の男の子は料理好きで、「将来、程ちゃんをぬいたんねん」というてます。中国では「食は三代」という言葉があり、箸の持ち方、食材の選び方、調理法など、食文化が身に付くには、三代かかるといわれています。

作家の藤本義一さんが、ぼくに、程さんは食の大阪で生まれ育ち、生まれながらにして、日本料理と中国料理のふたつの物差しをもっている。最高の環境だといわれました。それは親のおかげ。それに答えていく努力は続けます。恵まれた料理人やと両親に感謝しています。



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